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この表現が苦手だ

 朝日新聞、昨日の土曜版(be on Saturday)に、戦国時代の軍師、黒田如水のことが書いてあった。「兎角、弓矢を正直に取って、家を失わぬ分別第一の事」と言ったそうで、これを現代語にすると、「とにかく、正直にやるのが一番いい」という意味だそうだ。

 「取って」と「家を」の間に点があるから、こういう解釈になるんだろうが、点がないと、「とかく正直に弓矢を取って家を失わないように」、つまり、「正直に弓矢で正義を貫こうとして家を失わないように」と戒めている表現のように思える。むしろ正直にやらないことのすすめだ。

 こういう、後ろに否定が来る表現が苦手で、「母親みたいに心がこもらず」という井上陽水のある歌の歌詞、母親が心がこもっているのか、いないのか、比喩表現をほどこされているものよりも、その比喩のために引っ張り出されているものの性質の方が分からなくなってしまう。これも、後ろが否定でなければ何も問題はないのだが。

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ロイヤルホスト

 このタイトルは、一体、何なんでしょうね。店の名前を出して。

 実は、この1週間くらいの間に、3回、ロイヤルホストに行ったというのを、なぜかと自分で分析しようと思うのだ。若い頃(今も、十分、若いが)、ロイヤルホストというと、洋食のイメージがあって、バターとか油がこってりときいた焼いたり揚げたりした料理が出てくるという先入観があった。

 それが、ある時には、カレーがおいしくなり、しばしばカレーを食べるようになった。そして、最近は、なんと和食なのだ。もちろん、昔から和食はあったが、今日食べたのは、いろどり和膳というもので、ちょっとした懐石料理(というのはあまりに誇張しているが)というか、いろいろな味をちょっぴり、それも野菜料理にシフトしたものが食べられるのだ。こういうものへの好みは、若いころには(今でも若いが)、あまりなかったなあ。だから、私個人の変化なのだが、こういうものを出すという事実に、他のファミリーレストランとの差別化をはかる戦略が感じられるのだが、どうだろう。少なくとも、○ス○とは完全に違うと思うのだ。

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老化か脳力の低下か?

 最近の判断ミスが、老化に伴う自然なものなのか、あるいは、どこか障害があるために生じる病的なものなのか、それを判断するために、日々の間違いを記しておこうと思うのだ。しかし、判断ができるのなら、それは力の衰えを心配する必要はない訳で、判断する人はこれを毎日読んで下さる方になるのかもしれない。

 最近、実は、キーボードの入力ミスが多くなった。若干、使いにくいキーボードに代わったということもあるのだろうが。たとえば、上で「読んで下さる」と書いたが、最初の変換では、「読んで腐る」となってしまった。本当に、これでは腐ってしまう。

 同じ性質のものを取り違えるということが最近多い。以前も書いたかもしれないが、電子レンジに入れようと思ったカップ入りの牛乳をトースターに入れるとか、蜂蜜の瓶にカッテージチーズのふたをしようとするだとか、冷蔵庫に本来別のところに入れようと思ったものを入れようとしただとか。現在のところ、いずれも未遂で、途中で気づくのだが、これが全く気付かずに、あとになって、たとえば、冷蔵庫に本来食器棚に入れておくべききれいな皿が入っているのを発見するなんていうことが始まったら、それはまた記述したいと思う。

 そして、自分の電話番号や住所を記述しようとする時に、思い出しにくいことがある。これもいつも最終的には思い出せるのだが、万が一、完全に忘れてしまうことが起こったら、記述しようと思う。

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知り合いが店にいる

 レンタルビデオ屋に言ったら、レジで「こんにちは」と挨拶された。えっ?と名札を見たら、知り合いだった。手には「青春歌年鑑」というCD5枚が。何だか、そう言いたくなってしまって、「あっ、これ研究のためだから」と口走る。「いいですよ」と返される。

 実は、昨日、「よく○○○フードで買い物してますよね」と言われた。なんと、言った本人が、その店のレジでバイトをしているらしい。いやー、気がつかなかった。しかも「○○さんのこと知ってますよね」と、もう一人、こちらは、バイトをしている人として知っていた人物が、実は、身近なところにいる人だと知らされた。

 不思議なことに、もとからその店の人として認識している場合には、いつも何を買っているのか知られても、恥ずかしくないのだが、知り合いが店でバイトをしているという関係では、いつも何を買っているのか(あるいは、借りているのか)を知られるのは、照れくさいものだ。

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自分の精神状態...というか記憶力?

 先日の、某俳優の名前は完全に覚えた。朝寝朝酒をキーワードにしたら、漢字で(その音で)3文字まで一緒なので、大丈夫。

 しかし、行動で怪しいことはいろいろある。例えば、レンジで牛乳を温めるはずが、トースターに入れようとする。ナイフを使うつもりで、スプーンを出す。これは、年齢によるごく普通の行動であるのか、それとも、どこかに異常があってやってしまうのか、そのあたりを行動を書くことで(ここに?)、追求してみようと思う。

 というようなことをすること自体が、精神に異常をきたしている?

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その殺意はどこから?

 元厚生事務次官宅連続襲撃事件、動機が保健所によってペットを殺されたことだと知って、驚いた。さらに、それがどうやら子供時代のことだったらしいときいて、もっと驚いた。

 それで次官を殺すというところまで行ってしまうというのも、よく分からないが、少年時代の経験がずっと恨みとして残っていたというのが、分からない。少年時代を知る人の証言では、「おとなしい」少年だったらしいではないか。それなのに(あるいは、それだからこそなのかもしれないが)、恨みが心の中に蓄積していくとは。

 闇の部分を解き明かしてほしいものだが、こういうのは何だか作家の仕事だという気もする。

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外見で合否決定の問題

 就職活動を始めると、それまで茶髪だったのに、髪の毛を黒に戻す学生が続出する。「自分にとって、絶対譲れないもの」なんかではなかったんだなと、ちゃかしたい気もするが、その判断はおそらく当たり前だろう。会社の方が、それを明確にうたっていなくても、みずからの利益になるであろうことを選択するのは当然だろう。

 それが、教育の話になると、少し変わってくる。特に、それが義務教育であると、教育的な指導にはなっても(そうした外見はクラスの雰囲気を悪くする)、髪を染めているから、即「来ないでください」にはならない。

 義務教育でない場合(高校)には、高校はもっと強く言えるのかもしれない。ただ、それは、明確な基準として掲げておくのが、よいのではないだろうか。「当高校は、茶髪の人は取りません」と。「外見による差別をするのか」という声も出そうだが、実は、能力によって差別をして選別しているのだから、それもありという気がする。努力によって幾分改善できるにせよ、持って生まれた能力の差は絶対にある。ところが、入試の成績が上位のものから取ると規定されているので、誰も文句を言わない。「俺は、生まれつき数学が苦手なんだよ。どうやってもできないんだよ。なのに差別して入学させないのかよ」とは誰も言わない。だから、服装なり外見なりも、書いておけばいいのだろう。

 冷たい風が吹き抜けるような社会になるかもしれないが、その方がいいこともあるだろう。そして、不思議なことに、大学入試は、あまり髪の毛がどうこうはない気がする。面接がある場合は別だが、ペーパーテストで、外見まで採点する機会はないだろうから。

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「神田川」の真相、もしくは、喜多條さん、それは反則でしょう!

 イクラちゃんのことが書いてあった朝日新聞の土曜版、「神田川」についても驚くべきことが書いてあった。それは、「ただ貴方のやさしさが、怖かった」の部分の貴方、それまでの貴方が男性を指す(女性からの気持ちを歌っている)のに対し、ここだけ貴方が女性を指し(新聞の記事では、「主語が男性に転換する」と書いてあるのだが、主語は「やさしさ」だろうから、「男性に転換する」のは不可能。「私は貴方のやさしさを怖いと思った」とでもして、その私が男性ということだろう)、やさしい女性との暮らしが日常になることを恐れる、つまり「やさしさに安住しない人生を生きるぞ」という男の闘争宣言なのだそうだ。しかし...

 喜多條さん(作詞者)、それは、表現者として反則でしょう!

 まず、それまでが女性からの視点で、ここだけ男性からの視点だとするなら、「貴女」と書くべきでしょう。もし、フェミニズムの考え方で男女の別表記を潔しとしないなら、別の形でそれと分かるようにすべきではないでしょうか。

 南こうせつのメロディーも、その前の部分からつながるような形で(少なくとも、ここにはっきりとした境目を置かないで)書かれている。こうせつ氏自身は、あとからこの真相を知り、「ますますこの歌が好きになった」そうだが、歌詞の本当の意味を知らされずに作曲したことへのやりきれない思いはないのだろうか。私には「闘争宣言」どころか「逃走宣言」のように思える。「軟弱な4畳半フォーク」と言われて、「でも、本当は、こういう気持ちだったんですよ」なんて言い訳するみたいで。いいじゃないか。軟弱なフォークで!(何だか、やけに力が入ってしまった)

 そして、これをなんだかいい話みたいに紹介する記者もどうだかなあと思うのである。もしかすると、そこに一番腹を立てているかもしれない(笑)。

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イクラちゃん

 今日の新聞で一つの謎がとけた。今、とけたばかりの興奮でこれを書いている。いや、なに、例のサザエさん一家を実写にしたCMのことだ。小栗旬がイクラちゃんと言われて、ずっと、「イクラちゃんなんていたっけ?」と思っていたのだ。それが、今日の、朝日新聞の「サザエさんをさがして」で、イクラちゃんというのは、原作にはいなかったキャラクターだと書かれていた。

 私は、サザエさんは、新聞の4コマ漫画で読んだ世代。TVはむしろ、江利チエミを思い出す世代だ。大人になったからアニメから卒業という行動様式も、これまた昔の世代だろうな(苦笑)。ただ、アニメのテーマ・ソングだけはよく覚えているのは、親戚の子供などが見ている隣で、新聞とか読みながら時々目にしていたからだろう。それだけ、覚えやすい曲だったのか。まさか、実写版と同じ曲ということはあるまい。

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サド侯爵夫人

 仕事が終わってから劇場に駆けつける。バスでは間に合わないのでタクシーにするが、「あれ、その道通るの?」と思うようなところを通っていった。そして、途中から車が動かなくなった。何とかそこを通過すると、警察車両が出ていて、通行止め。それで回り道になった。あれは一体、何があったのだろう。結局、5分ほど遅刻し、タクシー料金も普段より500円ほど多くなった。あーあ、やっぱり、それほど見たいと思わない気持ちがこういう結果を生むのだろうか、と思った。

 サド侯爵。「おまえSだろ?」とか「いや、Mだ」などと、ちょっとした心持ちのタイプ分けには使うが、サドがやったことを描写されると(サド本人は出てこないので、あくまで言葉でだが)、やはり、どこかでやれやれと思ってしまう。あっ、「やれやれ」は「やれーやれー」という励ましではなく、「やれ、やれ」といううんざり感である。

 ところで、芝居を見ていて、初めて気づいたのだが、自分でこの芝居を全然意識せずに、昨日、今日と、遠藤周作の『留学』を読んでいた。この小説の第三章にサドを研究する日本人が主人公として出てきて、サドの生涯についてかなり詳しく書かれているのだ。芝居で言及されるいくつかの事件であるとか、侯爵夫人の妹のアンヌが、侯爵と関係することであるとか。あるいは、芝居には出てこない、革命後のサドの城の運命であるとか、彼の頭蓋骨が行方不明になってしまう話であるとか。そんなこともあって、彼の生涯そのものについては、興味を持って見ていた。

 しかし...三島は、小説は好きだが、芝居は、動きが少なくて、つらい。結局、作家が地の文で書こうとすることが、登場人物に分散されて台詞となって出てきている気がするのだ。サド侯爵夫人の心のありようが、結局、聞いているうちに私はぼんやりとしてしまって、よく理解できなかった。情けない。

 役者は、やはり、花組芝居で一緒にやっていた、侯爵夫人の篠井英介と母親、モントルイユ夫人の加納幸和のやりとりが圧巻。他の方々は...ただ女装すればいいってもんじゃないだろう、と思ったのだが。

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香典返し最新事情...かな

 9月に亡くなった職場の先輩の香典返しが送られてきた。中身がコーヒーだったので、びっくりした。商標でなく、商品名は、ドリップコーヒーになるのだろうか? 一杯分が濾紙と一緒になっていて、簡単に入れられるタイプ。そういえば、6月に亡くなった先輩の時は、そばのセットだった。昔の感覚とは、かなり違うなあ。

 4包みずつ、6種類のコーヒーがあって、中には紅茶のティーバッグタイプのものもある。亡くなった先輩も、仕事で疲れた時、これを入れて気分転換をはかっていたのだろうかと、そんなことを考えつつ、いただいている。

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週刊昭和

 新聞の広告で、朝日新聞が、週刊『昭和』という書物?(雑誌?)を発行するということを知った。18日創刊だったようだ。早速、「買いたいな」という気持ちになったのだが、あれっ?と思った。「昭和」というのに、40冊しかない。後ろのほうは、63年、64年が一緒になったりしているが、それでも足りないだろうと思って、よく見ると、戦後から始まっていた。

 ふーん。朝日新聞らしからぬ振る舞いだな。いや、むしろ、朝日新聞らしいのかな? あの時代は排除して、「戦後民主主義」の時代から描こうというのは。しかし、それなら、週刊『戦後』とすべきだろうな。と、突っ込みつつ、多分、書店に走る。

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失語症

 最近、あるところで、失語症の話をした。多分、言語学とか精神分析の世界では周知のことなのだろうが、私自身は素人なので、若干あやしいが、つまり、失語症には2タイプあって、類似性の感覚に異常があると、「赤い実」という言い方はできても、「リンゴ」とは言えなくなるのに対し、隣接性の感覚に異常があると、「ナイフ」ははっきり言えるのに、「フォーク」の方は言えない、そういう失語症になるという話だ。

 ところで、失語症とは少しずれるのかもしれないが、ある芸能人の名前がどうしても覚えられなくなった。昔は、きちんと言えたということも覚えているのだが。土曜日に洋服の青山に行って、そのキャラクターなので名前がしっかり出ていて、「よし、もう大丈夫」と思って、1回は思い出せたのに、それが、今日になったらもういけない。思い出そうとすると、何となく、頭が痛くなってくる気もする。日本のドラマ、「猟奇的な彼女」に出ていた人。古くは野島ドラマで「未成年」のいしだ壱成の兄役だった人。うーん、こう書いても思い出せない。そして、必ず出てくる別の名前(つまり間違えて記憶されている名前)まで、毎回同じなのだ。

 他にも、仕事関係というか、まあ、学生さんでいるのだが、幸い、このブログを読んでいる方で私の直接の知り合いは、しっかりと記憶されている。名前を思い出せない人物、それは、きっと私の意識の中で同じ部分(性格とかが)に属する人たちで、きっとそのあたりの私の記憶領域がやられているのではないかと思っているのだが。

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チューリップ

 庭に植えようと思って、チューリップの球根を買った。いやー、チューリップは、今や、いろんな種類があるなあ。単に「チューリップの球根」という訳にはいかないらしい。本当は、「赤、白、黄色」の球根があればよかったのだが、なんだか、色が混ざっているし、それに「百合咲」というらしいが、形状もチューリップとは違う。写真を見ると。むしろ、葉の方が、チューリップであることを保証してくれている。

 やれやれと思って、水仙の球根を見る。こちらも、何だか、(知っている)水仙とは違うみたいだ。それでも、子供の頃にも、「水仙」と「らっぱ水仙」があっただろうか。春に蒔いた朝顔も「昔と違う」と思ったものだがそんなもんなのかな。それだけこちらが園芸から遠ざかっていたということか。

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「預け」の問題

 各県で、いわゆる「預け」が問題になっている。年度内に予算を使い切れないために、ええっと、どうするんだっけ? その年度内用に、業者に請求書を書いてもらい、品物はあとだったっけ? 分からない。分かるのは、それが税金の無駄遣いとして指弾されていることだ。

 だが、かばうわけではないが、問題はもっと別のところにあるのではないか? そうやって使えなかった金がある一方で、何とか品目を立てて年度内に使い切った金もあるわけだ。それも、使い切ることが第一の目的となってしまった金が。

 予算消化のシステム(単年度主義で、残った場合には、次の年度はその分減らされる...のか?)が、実は、一番の問題だ(すでに指摘も多いのだろうが)。残った金は、翌年度に回せることにすれば、無理して変なものを買わないと思うのだが。

 どうしてそれができないのだろう。今度は、残すことが目的となり、政策の実現が低レベルになるからだろうか。

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恋うた2008

 予定していなかったのだが、たまたまつけてやっていたので、NHKのこの番組を見てしまった。SPEEDがWHITE LOVEを歌っていて、ドラマの主題歌でも何か歌っているので、本当に復活したんだなと実感。ダンスを見ていて、小室がいてそれでこういう感じの音楽になったんだなと思い出す。そして、ダンス音楽にというか、ダンス+音楽になれぬ私は、当時もそう思ったが、「二人だけでいいじゃないか」と思った。島袋寛子の高音は衰えてなかった。っていうか、当時が中学生くらいだから、衰えるわけないか。

 それにしても、司会をしていた住吉アナウンサー。NHK離れしている。以前、茂木健一郎と出ていた番組で、てっきりキャスターだと思っていた。NHKアナウンサーとは思えない衣装がすてきだ。

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イノセント・ラヴ

 今回の月9、脚本(浅野妙子)のみならず、プロデューサーも「ラスト・フレンズ」と同じであることを、朝日新聞の日曜版(be)で知った。しかし、雰囲気がどこか大時代的というか、レトロというか、月9を意識したものになっている気がする。

 今のところ、ヒロイン堀北真希の過去に何かあったらしく、兄はそれを守るために殺人を犯したらしいということが分かるが、その妹思いの兄の気持ちは、近づく男に過度に敵意をもやすなど、尋常ではない。だから、あまり兄に感情移入はできないのだが、第4回の堀北のナレーション(的なもの)は、「私のことを考えて」なんて言っていて、混線してきた。

 ところで、「レトロ」と書いたのは、物語が古いというより、こちらのとらえ方が昔風になるということ。クリスマス、教会、親がいない。なんだか、ネロがパトラッシェを連れて現れそうな雰囲気なのだ。まあ、そういうの嫌いではないが。

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定額給付金

 定額給付金、結局、所得制限は設けずに、高額所得者には、辞退してもらうというやり方のようだ。前に「定額給付金は選挙対策になるのか?」というのを書いたが、制度として反対であっても、くれるものはもらうという気持ちだ。情けない。

 辞退しても(幸い、高額所得者ではないようだ)、その金をきちんと使ってくれるとは思えないから。

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鶏の唐揚げ

 昨晩は鶏の唐揚げ作りに熱中、醤油と酒をまぜた中に1.ショウガ汁 2.ニンニク汁 3.ネギを刻んだものの3通りを入れ、それぞれに鶏肉をひたし、あげたものを比較し、どれが一番好きかを試してみたのだ。一般的には、1.か2.だろうが、俗に、「かもネギ」がおいしい話のたとえであるように(違うか)、ネギも捨てがたいと思ったのだ。

 結果は...どれもおいしい。まあ、醤油味があるのに、さらに、塩とゆず胡椒をまぜたものを振って食べたので、味が似てしまったというきらいはあるが。そして、付け汁に残ったネギ、これがもったいないと思ったので、ダメ元で、片栗粉をまぶしてあげてみたのだ。今まで、とんかつと一緒にパン粉をつけてあげたことはあるが、片栗粉は初めて。おそらく、そういう料理もあるだろうが、私は初めてということで、創作としておいた。

 味の方は、これがけっこういけた。パン粉だとぱりっとなるのだが、それがしんなりしている。悪く表現するとネチャネチャだが。私は、血液をさらさらにするために、「おさかなすきやね」で始まる食品をとるように心がけているので(最後の「ね」がネギ)、これはレパートリーにしようかな。なにしろ、揚げ物にしては簡単なのだ。

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面白い発言

 最近、聞いた(実際には新聞で読んだ)発言で、一番面白かったのは、中国産の冷凍野菜を国産と偽って売っていた会社の役員の発言だ。

 「原料不足を補うためだった。国産野菜の原料費が高くなったうえ、会社が経営的に苦しい状態で、消費者の国産志向にも応えたかった。」

 一番最後の「国産志向に応えたかったから(偽装した)」に笑ってしまったのだ。本当にこんなこと言ったのだろうか? 「テストでよい点を取ってほしいという親の期待に応えたくて、点数を自分で書き直した」みたいな発言。

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プロ野球日本シリーズ

 何だか、久しぶりにプロ野球を落ち着いて(もちろん、TVでだが)観た気がする。そうは言っても途中からなのだが、食事をとりつつ、それが終わっても最後まで観ていた。何かと話題になる西武-巨人戦だからか。広岡が監督の時の、第8戦(1回、引き分けがある)まで行った時のが、未だに記憶に残っているが、今回のシリーズもそれに劣らぬ名勝負だったろう。

 しかし、それを見る私の方は、えらい変わりようで、まず、若い選手をどちらのチームについても全然知らない。以前だと、若手がどこの出身で、いつ、どうやって出てきたかなんていうのがよく分かっていたのに、さっぱり分からない。人は、皆、そんな風に老いていくのか?ってどんな風にだ。

 平尾が撃った決勝のタイムリー、ちょうど、その時、オイルヒーターいれながら、アイロンのスイッチを入れたら、ブレーカーが落ちて、画面が真っ暗に。もちろん、部屋も。テレビをつけ直したら、すでに3対2になっていた。リアルタイムで見逃した。残念。やはりアンペア数を大きくするかな。

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100年インタビュー

 昨日の深夜(日付は今日)、NHKの「100年インタビュー羽生善治」という番組を見る。新聞のテレビ欄では、「ほとんど休む間もなくインタビューが続く構成は好みが分かれそう」と書かれていて、「私のような将棋を知っている羽生ファンには、それは好ましい構成だ」と思ったのだが、違った(苦笑)。インタビューが続き、「うん、ここでは羽生の言葉を裏付けるように対局の様子が出るだろう」とか、「資料的な映像が出そうだな」という予想がことごとく裏切られ、つまり、自分もインタビューのみの形式には、違和感を持ったということなのだ。森内との名人戦、谷川との王将戦など、ごくわずかの記録映像以外は、たんたんとインタビューが続く。

 しかし、これだったら新聞などの文字媒体でもいいのではないか? やはりテレビはね、立体的な描き方がいいな。

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アメリカ大統領選で助かったのは?

 オバマ大統領の話題で持ちきりだが、これで助かったのは誰だろう? 小室か守屋か田母神か?

 それにしても、一度、有名になって裕福な生活になれてしまうと、なかなか戻れないもんなんだなと、小室哲哉についての「噂」を読んで思った。液晶の大型テレビが10台あるとか、300平米のマンションの部屋だとか。まあ、マスコミも、栄光の絶頂にあるときは、そういうものを褒めそやし、転落するとそれをネタに悪く書くのだから、怖いと言えば怖い。私も気をつけよう...というほど、裕福ではないか。

 それと、別の哲也氏の死にはショックだったな。

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定額給付金は選挙対策になるのか?

 定額給付金の支給方式が揺れている。ばらまき批判に答えようとして所得制限を設けると、今度はたとえばコンピュータのシステムをいじったりなどでお金がかかるようだ。そもそも税務情報を別のことに使うのは禁じられているようだし。

 それにこの制度、選挙対策として本当に役に立つのだろうか? 経済的に役に立たないだろうことは自明ということで書くのだが(それも悲しい)、1万円ちょっとで、それはそれでうれしいだろうが、でも、そのおかげでこの政策を推進した政党に感謝して投票するだろうか? 仮に10万くらいぽんと来るのなら、投票するかもしれないが、でもそれって、賄賂に近いというか少しずれていないか?

 それよりは、そのお金で貯金をすれば金利がつくようになるとか、優良株を買えば値上がりが期待できるとか(その実、生まれてから株を買ったことはないが)、そういう社会を作ってくれた方がありがたいがな。

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バルカンダンス

 通勤の途中の道で、「バルカンダンス研究会」のちらしを配られる。「研究会を作ってください」と訴えている。ダンスは苦手だが、コサックダンスとの関連で、何だか、すごい運動をするように思う。それに誘われるっていうのは、こちらの身体能力を見込んでのことか!

 いやいや、ちらしを渡すなんていう作業では相手の身体など見ないだろう。

 しかし...ゆっくりちらしを読んでみると...「走りながら軽く縄跳びをする位の運動量です」 しっかり相手を見て渡していたようだ。

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JRで切符を間違えて渡したら?

 先週の木曜日、大阪まで出張をした。新潟、東京間では新幹線回数券を使うのだが、上越新幹線から東海道新幹線に乗り換えるときに、有人の改札口を使った。その時に、東京までの自由席回数券と、東京、大阪間の乗車券と指定席券が一緒になった切符を見せた。当然、回数券が回収され、東京、大阪間のチケットは戻ってくるはずだ。ところが、駅員は、回数券の方を返して片方を回収しようとして、慌てて、入れ替えた。

 その時は、単なる見間違いだと思ったのだが、東海道新幹線に乗ってから、自分のポケットに、渡したはずの回数券(新潟で自動改札を通した跡の残る回数券)があるのに気づいた。えっ? どうやら、まだ使っていない方の回数券を渡してしまったらしい。慌てて、東海道新幹線の車掌に事情を説明する。なかなか意味を分かってもらえないものの、東京駅に連絡を取ってもらい(どうやら何度も連絡をとってもらい)、最後は、すでに帰宅していたらしい駅員にまで電話して、回収しようとした切符を慌てて取り替えたなんていうことがあったかを確認して、回収された膨大な切符の中から未使用の回数券を発見してくれたらしい。そして車掌(今までの若い車掌に代わり年配の車掌が出てきた)が、「ここに行ってください」と東京駅のある場所を指示するメモをくれた。私は、「これは大事だ」と思って、財布にこのメモを入れた。

 一見落着。誤字ではない。落着したの一見だったのだ。さて、金曜日、大阪での出張の用事も終え、あとは帰るだけ。東京駅では、使っていない新幹線の回数券を受け取ればいいのだ。ところで、東京駅のどこに行けばいいのだったっけ。あれ? メモがない。もちろん、財布に入っているはずなのだが、この時の私の記憶は、「確か、ポケットに入れたはずだが...」である。それで、昨夜、ズボンのポケットから出したものを並べてあるホテルのテーブルの上を見るのだがない。証拠になる使用済みの回数券もない。もちろん、これも本当は財布に入っている。

 まあ、なんとかなるだろう、と心を落ち着けて東京駅へ。乗り換えに20分の余裕しかないが、少し前に見た土曜の2時間ドラマを思い出し、遺失物係へ行く。ところが、ここで問題が起きた。JR東海のそれか、JR東日本のそれかという問題だ。聞かれて困ったが、JR東日本だろうと見当をつけて向かう。しかし、ないのだ。「車掌さんが電話で話をつけてくれたからあるはずだ」と言うものの、訪ねる先が間違っている可能性もある。そのうちに、このままでは予定の列車に乗り遅れそうになった。それで、しかたなく、電話番号だけきいて、列車に飛び乗ることにした。やはり「一見落着」だったのだ。

 そして(話はまだ続く)土曜日になってから、車掌がくれたメモが財布から出てきた。行くべき場所は、遺失物係ではなくて、改札口のところの事務所だった。拾得物にしないで、乗り換えしやすいように改札口に行けばすぐもらえるように配慮してくれていたのだ。昨日の金曜日も普通なら、当然通って不思議はない場所だった。力を得て、電話を入れる。ところが、やはり(遺失物係には)届いてないと言われる。そもそも電話で事情を説明するのに相当苦労して、ようやく改札口の事務所に電話が通じ、あることが分かった。しかも、先方では私の名前まで知っていた(JR東海の車掌に言ったので)。これでようやく解決だ。ただ、切符の回収には東京に行かねばならない。幸い、昨日の日曜日に偶然にも東京に行く用事があった(もともと、金曜日の夜に新潟で用事があったので、これがなければ、出張のあと日曜まで東京に滞在することができるのに、とぶつぶつ文句をたれていたのだ)。言われた事務所に行って、ようやく切符を回収できた。「誤回収申し訳ありません」と言われたので、出した私だけでなく、先方も責任を感じなければならない立場のようだ。東海道新幹線で年配の車掌が出てきた理由も分かった。

 がそうは言っても、ここまで親切に探してくれるとは思わなかった。JR、なかなかやってくれるものだ。

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「空自トップ更迭

 田母神航空幕僚長の更迭は、自衛官の歴史認識の問題として、大騒ぎになっている。が、ここではそれとは違った観点から一言記しておきたい。

 それはそもそもの「事件」の発端となった、懸賞論文コンテストのことだ。朝日新聞の記事だが、著書を「引用」された歴史家の秦郁彦氏によれば、田母神氏の論文は、「事実誤認だらけ」で「通常の懸賞論文コンテストなら、選外佳作にもならない内容」だそうだ。これを最優秀賞とした審査員達の眼力はどうなっているのか? あるいは、残りの論文はこれよりも劣る論文だったということなのか? となると、主催するアパグループは一体、どう考えているのだろうか。これは、もう出直すしかないのではないか?

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ブラック・マンデイ?

 TBSの土曜の8時頃から始まる番組、ついつい「ブラック・マンデイ」と読んでしまう(しかし、ブラッディはブラディが普通の書き方じゃないのか? ッのせいでそう見えてしまう)。

 株なんかやってないから、株価が下がっても平気だが、ただ、回り回って、いろいろなところに影響するからな。就職内定が取り消し、なんていうことも起こっているようだし。

 そういえば、どうせ金利が上がると踏んで、固定金利で借りたお金があったんだ。あまりそういう方面に頭を使わなくてもよい世の中がいい。

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